倉敷市玉島北公民館講座・やさしい写真・写真展 「ふるさとの古城を撮る2」 「やさしい写真」は平成19年(2007年)に開講し、今年で11年目を迎えました。年3回の写真展開催と1冊の写真集作成に向けて準備することを講座で行います。この「ふるさとの古城を撮る」が今年度3回目最後の総仕上げの写真展です。 「古城を撮る展」は、平成27年度に続いて今回で2回目になります。前回は撮影対象を備中の古城に限りましたが、今回は備前にまで広げ1年かけて撮影しました。
私たちのこの故郷には、ひと昔前には山や平地にたくさんの城が築かれていました。備中で245、備前で235、合わせて480もの城がありました。自分の自宅や散歩道から山が見えれば、その中のひとつやふたつには城があったと言っても、言い過ぎではありません。そうした城が、私たちが快適さを求めて山を下り平野部に住むようになって、忘れ去られてしまっています。 私たちの住むこのふるさと備中・備前地方は、東西南北から入ってくる諸勢力がぶつかり合う天下分け目の戦いの行われた激戦地でありました。そのため要所となる山や平地にはたくさんの戦略的な城が築かれました。一所懸命という言葉があるように、当時の武将にとって土地ほど大切なものはありませんでした。城を取ることはその領地を手に入れることで、これほど命を懸ける大切な重要なことはなかったのです。 「備中福山城」森本俊生 「楪城」佐々木澄夫 中世までの古城は、戦国時代以降建てられた天守閣のあるような立派な近世の城ではありません。石垣をあまり使用せず、地面を削り土を盛り築城する土の城です。しかし、その大半は近世初頭(江戸時代初め)の徳川家康の一国一城令で廃城になりました。そのため、城跡は掘が埋まり土塁が崩れるなど、人の手や自然の力によって元の姿は失われ、今ではただの山や畑にしか見えないことが多くなっています。 ここに展示したのは、こうした今は姿のない城で、城があったと思われる痕跡を撮ったものです。国取りに命をかけて城を築いた領主たちの気持ちに思いを馳せながら、忘れ去られようとしている故郷の宝古城に向けてシャッターを切りました。
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